Netflixドラマ
アドレセンス
がゴールデングローブ賞を受賞したというニュースを見ました。
この作品については、以前ブログにも感想を書いていますが、
改めて考えると、なぜこのドラマがここまで評価されたのかが、
少し分かる気がします。
見終わった瞬間に浮かんだのは、
感動でも、面白さでもありませんでした。
「怖い」
それも、
被害者になるかもしれない怖さより、
我が子が加害者になるかもしれないという怖さでした。
『アドレセンス』が描いているのは「特別ではない現実」
物語は、13歳の少年ジェイミーが
同じ学校の女子生徒を殺害した容疑で逮捕されるところから始まります。
しかし、このドラマには
分かりやすい原因がほとんど描かれていません。
- 毒親ではない
- 明確ないじめでもない
- 家庭が崩壊しているわけでもない
描かれているのは、
- 女性蔑視
- インセル(性的不遇な男性)
- 「男らしさ」を求められる空気
- はっきりとは言語化されない「いじり」
- SNSによって増幅される劣等感
どれも、現代社会では珍しくない要素です。
だからこそ、
「誰の家庭でも起こり得る」という感覚が、
強く残りました。
自分も、加害者にも被害者にもなり得たと思う
このドラマを見ながら、
自分の中学時代を思い出していました。
当時にも、
いわゆるスクールカーストは確実に存在していました。
明確ないじめではなくても、
- 見下す
- からかう
- 同調して笑う
そうした空気は日常的にあったと思います。
私自身、
積極的に何かをした覚えはなくても、
「クスッ」と笑った側だった可能性はあります。
もし、何か最後の引き金を引いていたら。
自分も、加害者や被害者になっていたかもしれない。
そう思える点も、
このドラマが他人事ではなかった理由です。
SNS社会では「加害者になるハードル」が極端に低い
最近では、高校生の暴力行為やトラブルが
SNSで拡散されるニュースを頻繁に目にします。
かつてなら、
- 学校内で処理されていたこと
- 大人が介入して終わっていたこと
でも今は、
- 動画として拡散され
- 顔や名前が特定され
- 家族まで晒される
本人だけでなく、家族ごと社会的に追い込まれる
構造があります。
この構図を見て思い出したのが、
**手紙(東野圭吾)**です。
この作品で描かれていたのは、
強盗殺人犯の家族が背負う、
終わりのない差別と孤立でした。
しかし今は、
そこまでの重大犯罪でなくても、
「一度の過ち」が拡散されることで、
同じような状況に追い込まれてしまう。
社会的に“終わる”ハードルは、確実に下がっています。
暴力やいじめは、当然許されるものではない
ここは、誤解されたくないので明確に書いておきます。
最近話題になっている高校生の件は、
明確な暴力問題であり、
いじめや暴力が許されるわけではありません。
被害者がいる以上、
きちんと向き合われ、
さばかれるべき問題だと思っています。
私が怖いと感じているのは、
暴力を軽く見ているからではなく、
「一度の過ちが、回復不能な形で固定されてしまう社会」
その構造です。
子どもを被害者にも、加害者にもしたくない
私は、二人の娘を育てています。
だからこそ、
このドラマは完全に他人事ではありませんでした。
ジェイミーは作中では加害者ですが、
もし彼が自分を傷つけていたら、
立場は簡単に逆転していたはずです。
ほんの些細な違いで、
どちらにも転ぶ。
その不安定さこそが、
この物語の本質だと感じました。
「我が子を犯罪者にしないように」というプレッシャー
我が子を犯罪者にしないように育てなければ――
そんなプレッシャーそのものが、
子育てをどんどん難しくしている気もしています。
親が背負える責任には、
きっと限界がある。
それでも考えずにはいられないから、
こうして悩み続けているのだと思います。
加害者の親の視点を描いた本
いじめを「被害者側」ではなく、
加害者の親の視点で描いた作品に、
『娘がいじめをしてました』
があります。
「まさか自分の子が」という怖さが淡々と描かれており、
このドラマを見たあとに思い出しました。
※気になる方はPickに置いておきます。
石井光太『傷つけ合う子どもたち』で重なった視点
『傷つけ合う子どもたち 大人の知らない加害と被害』
も読みました。
この本では、
- SNSを使った心理的暴力の増加
- 性的ないじめの低年齢化
- SNSやAIによって、
子どもが「加害している自覚」を持ちにくい現実
が具体的に描かれています。
SNS・AI時代に、家庭でできること
著者は本の中で、
- SNSリテラシー
- 倫理観
- 家庭で育つ「国語力(言葉を理解し、想像する力)」
の重要性にも触れています。
使わせる・使わせない以前に、
- 言葉をどう使うか
- それが相手にどう届くか
- 画面の向こうにも「誰かの大切な人」がいること
こうした感覚を、
家庭の会話の中で育てていくこと。
それが、
子どもを被害者にも加害者にも近づけない、
数少ない現実的な手立てなのかもしれないと感じました。
なぜ『アドレセンス』は評価されたのか
『アドレセンス』が
ゴールデングローブ賞を受賞したのは、
この物語が
誰の家庭でも起こり得る現実を、
ごまかさずに描いたからだと思います。
怖くて、
目を逸らしたくなる。
でも、
目を逸らしてはいけない物語。
そう感じさせる力が、
この作品にはありました。

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